10月6日「私の弱さを誇る」

コリントの信徒への手紙Ⅱ12章1-10節(新共同訳p.339 口語訳p.290)

「愛は絶えることがない」Ⅱコリント13:1-13

 パウロはこの箇所ですべて愛がなければ無に等しいと語っています。この愛、それは神に日々、生かされ癒されているという実感、また神が共にいつもおられ支えて下さっているとの感謝のことなのです。

 神様はこんな私たちでも「生きて良いよ」と恵みをもって語りかけて下さっている。「お前も生きる意味や、役割がある」と励まして下さっている。この神の私たちに注がれた深い愛の実感からでない働きは皆無だと語るのです。

 パウロは神の思いを知る預言も、知識も、神と触れ合って得たと思う異言も、神をひたすら信じているという信仰も、全て愛がなければ無だと語るのです。そこには「あの人は博学だ」、「あの人の信仰は素晴らしい」と、他の人々から賞賛されたとしても、その人たちの中に、神に生かされ、支えられているという実感からでたものでない限り、所詮それらは、他者の賞賛をあびるだけのものに過ぎない。自分の力で、気転で、ただ築き上げた、人間の浅はかな業に過ぎない。どんなに人々に美しく映ったとしても、それは人間の力だけで神を捕まえてやろうとの悲しいあがきにしかすぎない。パウロは人間の力で本当に神が捕まえられるのか。神が本当に私たちを掴み、生かして下さっているとの謙遜な感謝の思いをもってはじめて神を知り得る事ではないか。

 そして、それは例え全財産を貧しい人々に献げ、また人々を救うために、自分を奴隷に売って金を作ったとしても、それが愛から出ていない限り駄目なのだ。なぜなら、その行為は他者から評価されるための売名行為であり、また神の覚えをよくするための小賢しい考えに過ぎないだ。なぜ自分の力で生きようとするのか。なぜ寂しさや空しさを隠そうとするのか。人間に一体何ができるのか。明日さえも、他者の心さえも、自由に支配できない私たちがどうして神を支配しようとするのか。

 私たちはパウロの痛烈な言葉をここに聞くような思いがします。神の愛を深く味わった人、神に生かされる信仰に生きた人、パウロは真剣に「そんなお前たちでも、神は赦し、生きて良い」と語り続けておられるのだと叫び続けるのです。

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