教会の紹介

施設について

受付

タイルカーペットですので、お靴のままお入りください。
日曜日の礼拝時には玄関当番がおります。

お車の方は目の前の駐車場にお停めください。(8台まで)
日曜日は平田組資材倉庫の駐車場もご利用できます。

花壇

お花やハーブを育てています。

ホール

礼拝堂と多目的室をつないでいます。

掲示板には、他教会からのお手紙や集会のチラシが貼られています。

掲示板の反対側には女子トイレ、男子トイレ、多目的トイレ、シャワールームがあります。

礼拝堂

約60名の方がお座りになれます。

PA(音響設備)を使用すると、会堂のどこからでも礼拝堂の音声が聞こえ、礼拝に参加することができます。

プロジェクターを使用して、前方の白壁に映像を映し出すことができます。

母子室・休憩室

たたみ敷きの部屋です。

礼拝堂との間がガラスなので、小さい子どもとともに礼拝に参加することができます。多目的トイレにはおむつ替え用のベッドがあります。

体調をくずされたときは、奥の休憩室で横になれます。休憩室と礼拝堂の間のガラスにはカーテンがかかっています。

多目的室・会議室・キッチン

多目的室はパーテーションで2つに仕切ることもできます。長机といすを出して、大人数の会議もできます。

会議室は多目的室の奥にあります。普段は長机4つ、いす8脚を置いています。

キッチンにはコンロが3つ、シンクが2つあります。会議室への扉があり、直接行き来できます。

教会の歴史

 私たちの教会は、1909年7月11日(明治42年)に設立された教会です。今年で創立114年を迎えました。設立当初は、東洋宣教会山陰中央福音伝道館と呼ばれていました。その頃は、東京聖書学院教授、秋山由五郎師が主任牧師でした。

そんな東洋宣教会山陰中央福音伝道館は、1917年10月(大正6年)に、東洋宣教会米子ホーリネス教会と教会名が改められたと同時に、清水良太郎師が主任牧師となりました。しかし、1919年4月(大正8年)に、清水良太郎師が東京本部に移転したため、藤原巨界師が主任牧師となりました。

しかし、その藤原巨界師が、入営(兵役に編入)したため、同年に森信一郎師が主任牧師となりました。しかし、1931年4月(昭和6年)に浦和教会に転任したため、加藤俊守師が主任牧師となりました。そんな中、1936年3月(昭和11年)に、米子ホーリネス教会は、米子聖教会と改名されました。

 1937年4月(昭和12年)に、加藤俊守師が戸畑教会に転任されて、松村司師が主任となりました。その松村司師が、1941年4月(昭和16年)に、台湾南洲嘉義教会に転任することになって、米子聖教会は、山中日出刃師を主任に迎えました。

そんな米子聖教会は、1941年6月25日—26日(昭和16年)に、富士見町教会で開催された日本基督教団創立総会を経て、日本基督教団第6部に入りました。

そして、1942年6月26日(昭和17年)早朝、ホーリネス弾圧を受けて、1943年4月(昭和18年)に、解散を国と日本基督教団から命じられました。それを耐え忍び、1945年9月(昭和20年)に小林竹千代師を招き、礼拝を矢倉家で続けていました。

 そんな中、1949年(昭和24年)に小林竹千代師を米子聖教会の主任として迎えました。そして、1946年5月1日(昭和21年)に日本橋都心教会で行われた春季復興全国大会で、日本基督教団第6部に属していた米子聖教会は、ホーリネスの群の一員となり、日本基督教団内で、ホーリネスの証を立てていく責務を果たしていくことを誓いました。

そして、1953年1月6日(昭和28年)に、清水良太郎師が、鳥取新生教会と米子教会の主任担任兼務となられました。1954年11月(昭和29年)に、竹内基子師を主任としてお迎えしました。竹内基子師が加藤俊行師と結婚されて、1956年4月(昭和29年)から、加藤俊行師を主任としてお迎えしました。

その後1998年(平成10年)4月に、副牧師であった田村博師を主任としてお迎えしました。2002年3月(平成14年)の田村師の辞任に伴って、2003年4月(平成14年)より、二宮忠弘師を主任としてお迎えしました。2003年12月(平成14年)の二宮忠弘師辞任に伴って、村谷正人師を、主任代務としてお迎えしました。しかし、村谷師の辞任に伴って、2004年4月(平成15年)八束潤一師を主任としてお迎えしました。

2009年8月(平成20年)八束潤一師が召天したことによって、2010年3月まで松江教会の主任であった宗盛興師を主任代務としてお迎えしました。そんな中、2010年4月(平成20年)森浩師を主任としてお迎えしました。

2014年3月(平成24年)森浩師辞任に伴って、2015年4月(平成25年)野々川康弘師を主任、野々川藍師を担任としてお迎えしました。2024年3月(令和5年)野々川康弘師と野々川藍師の辞任に伴って、2024年4月から兼務主任牧師として田中寛也師をお迎えしています。

所属教団について

所属教団の「日本基督教団」とは、どんな団体ですか?

日本基督教団(にほんキリストきょうだん、英語: United Church of Christ in Japan)は、1941年6月24日に日本国内のプロテスタント33教派が「合同」して成立した合同教会であり、公会主義を継承する唯一の団体であります。通称は「日本キリスト教団」 です。全国17の教区から成り、米子教会は東中国教区に属しています。
日本基督教団のホームページを見る

日本基督教団東中国教区のホームページを見る

どんな「信仰の特徴」がある教会ですか?

また私たちの教会は、日本基督教団の中にあって「ホーリネスの群(むれ)」に属しています。「聖書を誤りのない神の言葉」と信じ、教会の拠って立つただ一つの正典であり、信仰と生活の基準としています。 四重の福音に立っているのが特徴です。

教理的には「メソジスト」といわれる教派に近い立場(ウエスレアン・アルミニアン)です。「 ホーリネス 」といわれる教会の一つです。

「ホーリネスの群」は、 日本キリスト教団の中にある特色ある伝統をもつ教派の一つです。現在教団約1700教会のなかで、60余教会が所属しています。

また大きな特徴に、伝道者養成機関で教団認可神学校として東京聖書学校があります。教団内で他に、一教派で神学校をもっているところはありません。それだけに、日本における伝道への篤い祈りと思いをもっています。

ホーリネスの群のホームページを見る

東京聖書学校のホームページを見る