8月18日「主に期待する教会」

イザヤ書28章23-29節ローマの信徒への手紙11章33-36節 (新共同訳p.1104,291 口語訳p.979,249)

強大なアッシリア帝国の脅威の前に動揺し、怯えるエルサレム。そんな彼らに神は預言者イザヤを通し、「農夫の知恵から学べ」と語られる。つまり、農夫が土を耕す時、土が破壊されているかのように見えて、実は豊かな収穫を結ぶ為に必要なことなのだと。同様に、私達の人生の苦しみ、試練も、実り豊かな人生の為に必要なことなのだと(Ⅱコリント4:17)。

今も生きて働く神は試練を通して私達の目に不思議なことをなさる。私はこれまでの牧会生活で幾度となく課題にぶつかり、その都度、神の御業としか思えない不思議な経験をさせて頂いた。祈りはAやBしか見えていない私達にCという道を示す神の御声を聴くことだと学んだ。「主の計らいは驚くべきもので、大いなることを成し遂げられる」(29節)。

 しかし、解決途上の問題もある。教会でどちらを選ぶべきか悩む時、意見が分かれて壁にぶつかる時、傷付き、感情が絡み合う時、私達は解決の糸口さえ見失い、どうしてよいか分からなくなる。皆が教会を愛し、神の御心を祈り求めているはずなのに。すぐに答えは出ない。待ちきれず、人の知恵で解決しようとした失敗者を聖書は山ほど記す。神は問題を解決できるお方なのに、なぜすぐ解決して下さらないのか?それは私達自身の「正義」をもう一度問い直すよう促しておられるからではないか。教会とはどういう集まりなのか。強い意見を通すのではない。多数決でもない。誰かを置き去りにするのでもなく、皆が愛によって心一つに歩めるところであるはずだと。私達が「正義」を捨て去る時、必ず神は道を開いて下さると信じる。ローマ11:33~36。

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