8月25日「イエスは世の光」

ヨハネによる福音書8章12―20節 エフェソの信徒への手紙5章15―20節(新共同訳p.181,358 口語訳p.151,306)

1.「『わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。』」

「キリストに倣いてイミタチオ・クリスチ」は本節をもって書き出され、光こそは神の正義、神の聖、神の真理と証言します。光に歩む者は暗闇(罪悪)の中を歩み得ません。光と暗闇は互いに交じり合わず、光が差し込めば暗闇は追放されて、日本人特有の玉虫色(グレーや遠慮)の判断を持ち合わせていません。イエス・キリストを御言葉のままに信じて従えば、永遠の命に導かれて生きています。

2.「『もしわたしが裁くとすれば、わたしの裁きは真実である。なぜなら、わたしはひとりではなく、わたしをお遣わしになった父と共にいるからである。』」 

 キリストは全人類の罪を贖うために十字架につきました。私たちの全ての罪は贖いの御業によって赦されています。神の愛に留まる私たちの義は、貧しく小さい者の内にいるキリストを愛することで証言されます、マタイ25-31-40。

3.「『もし、わたしを知っていたら、父をも知るはずだ。』」

 私たちは天に座しておられる父なる神を見ることも、知ることも出来ません。父なる神は太陽の光よりも勝って輝き、どんな犠牲愛よりも偉大な愛に包まれています。キリストだけが父なる神の像を見えるようにしてくださり、神の愛(アガペー)の広さ大きさ高さ謙遜を知らせました。十字架につけられた御子によって神の愛が明らかになったのです。

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