12月3日「幸いな人」

ルカ福音書1章39―45節(新共同訳p.100 口語訳p.83)

神がお語りになった恵みのみ言葉は必ず実現する、たとえそれが人間の常識や理解を超えたものであっても、神の力によって必ず現実となることをマリアは受け留めました。マリアが祝福された者、幸いな者であるのはこの信仰によってです。しかしこの45節は昔の文語訳では「信ぜし者は幸福なるかな、主の語り給ふことは必ず成就すべければなり」。と訳されています。この訳だと「エリサベトはマリアに「信じたあなたは幸いです。なぜなら、主がお語りになったことは必ず成就するからです」と語ったことになります。エリサベトは信仰に基づいてマリアを祝福し、励ましているのです。人間の思いを超える神の御力によって子を宿した彼女らは共に、主が語られたことが実現することを自分の体で体験させられています。それは人間的には理解し難いことも沢山ある訳ですが、共に励まし合って、彼女達は共に「幸いな者」となっているのです。/最後にヨハネ福音書1章1-5節、9節、12節を読みたいと思います。「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。」「その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。」「言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。」このヨハネ福音書の「言」こそ、救い主イエス・キリストのことです。私たち人間を罪から救うために、救い主が生まれるという神の約束の御言葉の成就、その言の実現、救いの到来がこの身に、私たちに訪れたことを心に留め、改めて噛みしめ、共に信仰にあって励まし合いながら、このアドベントの時を過ごして参りたいと願います。

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