使徒言行録13章13節―41節(新共同訳p.238 口語訳p.203)
13章13節からは、「パウロの伝道旅行」と言って良いと思います。何故なら、13節で、「パウロとその一行」そう記されているからです。パウロたちは、キプロス島から船出して、パンフィリア州のペルゲという港に入りました。そしてペルゲから、ピシディア州のアンティオキアに行ったのです。そそて、到着したアンティオキアで、安息日にユダヤ人たちの会堂に入り、礼拝に出席したのです。それはキプロス島でも同じでした。パウロたちの伝道は、先ず会堂に集うユダヤ人たちに対して行われたのです。15節を見ますと、会堂長たちがパウロたちに、「兄弟たち、何か会衆のために励ましのお言葉があれば、話してください」そう依頼したことが記されています。つまり、アンティオキアの会堂の礼拝説教から、パウロの伝道は始まったのです。じゃあパウロは、最初の説教で、一体どのように主イエスの救いを語ったのでしょうか。パウロが先ず語ったことは、イスラエルの民の歴史でした。イスラエルの民の歴史をなぞっていく語り方は、7章のステファノの説教を思い出させます。当時は、ステファノの説教に怒り、教会を迫害していたのです。そんな彼が、最初に語った説教が、ステファノの説教を受け継ぐような説教だったのです。そこから分かることは、説教を分かる神の時というのがあるということです。それはそうと、パウロは、イスラエルの民に対する神の導きの歴史。それがダビデとの約束となり、そのダビデとの約束の故に、主イエスがこの世に来られて、ダビデとの約束が成就した。そう語っているということです。それが意味していることは、旧約聖書を無視して、主イエスの救いを考えることは出来ないということです。そして、それと同時にパウロが説教で語っていることは、ステファノが厳しく追及していたユダヤ人たちの罪です。でもパウロは、そういったユダヤ人たちの罪も、神の導きの下に置かれていて、それによって神の約束が実現したことをも見つめているのです。つまりパウロは、「神のイスラエルの民に対する導きの業は、ダビデに与えた約束を通して主イエスがこの世に来られ、イスラエルの民の迫害によって、主イエスが十字架に架けられて殺されて、その主イエスが復活したことで成就した。」そう語ったということです。そして、主イエスが復活したことを信じるということは、主イエスが、朽ち果ててしまったのでなくて、今もなお生きて、神の導きの御業をなし続けて下さっていることを信じるということです。もしそれを信じているならば、たとえ罪深く弱い私たちであっても、すぐに朽ち果ててしまうような私たちであっても関係ないのです。主イエスを復活させた神がいつも共にいて下さって、罪深い弱い私たちが、決して朽ち果てることなく、喜びと感謝が沸き起こってきて、新しく、力強く生かされていくように導かれていくのです。主イエスの復活を信じているキリスト者は、神がいつも共にいるからこそ自然にそうなっていくのです。それが聖書の道理です。そのことを覚えて、今週一週間、皆さんと豊かに歩んでいければと思います。