1月7日「新しく生かされよ」

ヨハネによる福音書4章1―26節(新共同訳p.168 口語訳p.140)

正午頃、一人のサマリアの女性が、水を汲みにきた時、主イエスは、「水を飲ませてください」そう彼女に言いました。それを聞いた彼女は驚いたのです。何故なら、彼女はサマリア人で、主イエスはユダヤ人だったからです。当時、ユダヤ人とサマリア人は、犬猿の仲でした。だから、彼女は驚いたのです。そんな彼女に、「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい」そう言ったのです。これは、水とは関係無い話です。でも、サマリアの女性は、「わたしには夫はいません」そう答えたのです。その時主イエスは、「『夫はいません』とは、まさにそのとおりだ。あなたには五人の夫がいたが、今連れ添っているのは夫ではない。あなたは、ありのままを言ったわけだ」そう言われたのです。主イエスは、彼女が一番触れて欲しくないと思っているところ、心の傷として抱えているところ、痛いところに、敢えて手を触れたのです。それは主イエスが、命に至る水、生きた水を与えるために、サマリアの女性と本気で出会い、本気で関わったからです。主イエスという御方は、私たち一人一人に対して、そういう出会いをして下さる御方なのです。主イエスは、本気で出会い、本気で関わり、本気で私たちを生かそうとするからこそ、私たちの最も痛いところ、人には決して見せたくないと思っているところ、必死で覆い隠しているところ、その根っこにある罪と、出会おうとなさるのです。もし、私たちがそれを避けて、上っ面の、自分を装うことができる所でのみで、主イエスと関わろうとしているとすれば、主イエスが与えたい生きた水、命に至る水を、得ることは出来なくなるのです。私たちの内で泉となる水、命に至る水は、私たちの自己中という最も深い罪を知らされて、そこから齎される深い苦しみ、深い悲しみを知らされて、渇きを覚える中でこそ与えられるのです。そのことを覚えて、今週一週間皆さんと共に歩んでいければと願っています。

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