マタイによる福音書5章21-37節(新共同訳p.7 口語訳p.6)
塩は塩、ともし火はともし火であるように信仰としてあり続けることを「立派な行い」とされた主イエスは、いくつかの例を挙げてその内面を扱われました。
「ばか」「愚か者」という言葉そのものも侮辱でありますが、腹の内にある人への侮蔑や軽蔑の思いが外に出たものです。子どもが「見るだけ」と言いながらつまみ食いに至るように、大人もまた同様です。見なければよいものを、欲望を刺激する方向へ自ら近づいていきます。目や手を切り落とすほどの意思で罪を徹底的に断ち切れと主は命じておられます。
神への誓いも人との約束も勝手に条件を変えて守らないなら誠実な信仰者とは言えないでしょう。キリストの恵みを知る者は、それにふさわしい誠実な生き方をやり遂げることが求められます。
