5月11日「死んでも生きる」

ヨハネによる福音書11章17-27節(新共同訳p.189 口語訳p.158)

1.復活であり命であるキリスト

ベタニアのマルタとマリア、そしてラザロは、主イエスに特に愛された家族でした。しかし、ラザロが病に倒れたとき、イエスはすぐには来られず、彼が死んでから四日も経って到着されました。マルタは「主よ、もしここにいてくださったなら」と悲しみと葛藤を抱えながらも、信仰の言葉を絞り出します。

主は「わたしは復活であり、命である」と語られました。これは死者のための言葉ではなく、生きているマルタ自身の心に向けられた命の言葉でした。信仰とは、ただ知識を受け入れることではなく、苦しみや問いを経た上で、心から「はい、主よ、信じております」と告白する応答なのです。

2.生きていてキリストを信じる

人はなぜ生まれ、生きるのでしょうか。それはキリストに出会い、神の愛を知るためです。

私たちは苦しみや嘆きの中で、「主よ、なぜおられなかったのか」と問いかけることがあります。しかし、主は私たちと共に涙を流され、命をかけて愛してくださるお方です。主に信頼する者には、死で終わらない命が約束されています。

人はただ死ぬために生まれたのではありません。復活の主と出会うために生まれ、生きているのです。イエス・キリストも神でありながら私たち罪人の救いとなるために母マリアよりお生まれになりました。母から生まれた者が生きていてこの方を信じるなら、キリストの復活の恵みにあずかって、死んでも生きるのです。

目次