1月1日元旦礼拝「誇る者は主を誇れ」

コリントの信徒への手紙Ⅰ 1章26節―2章5節 (新共同訳p.300 口語訳p.257)

1.「兄弟たち、あなたがたが召されたときのことを、思い起こしてみなさい。・・だれ一人、神の前で誇ることがないようにするためです。」

私たちは信仰により救われ、洗礼の恵みによって神の子とされキリストの兄弟姉妹となりました。その救いの主体は十字架の御業にあります、1:18。

神が召してくださったので、救いに入れたのでした。

2.「神によってあなたがたはキリスト・イエスに結ばれ、このキリストは、わたしたちにとって神の知恵となり、義と聖と贖いとなられたのです。『誇る者は主を誇れ』と書いてあるとおりになるためです。」

私たちはキリストに結ばれています。それは十字架の血潮によって罪が贖われ、義(永遠の命)を約束され、聖(御国の市民)とされているからです。私たちの救いはこちらに何かの功績があったからではなく、ただ信仰によって受け取った賜物です。

3.「わたしはあなたがたの間で、イエス・キリスト、それも十字架につけられたキリスト以外、何も知るまいと心に決めていたからです。・・わたしの言葉もわたしの宣教も、知恵にあふれた言葉によらず、霊と力の証明によるものでした。」

 パウロは使徒として誰よりも神の言葉を熱心に伝え、教会の課題や問題のために労苦し、神の憐みと恵み深さを極めた者はないと自負しますが、キリストの力が宿るように自分弱さを誇ると言います、コリントⅡ12:9。癒しも奇跡も魂の救いもきよめの恵みも、神の霊と力による賜物です。パウロと私たちは神の器であって、神が考え、ふさわしく用いられます。

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