12月15日「先駆者ヨハネの戸惑い」

マタイによる福音書11章2―30節(新共同訳p.19 口語訳p.16)

1.「『来るべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか。』」

バプテスマのヨハネはイエスの親族で(エリサべトとマリア)、彼は母の胎内にいる時にもキリストを喜び賛美した程に、聖霊に満たされていました、ルカ141。荒れ野で叫ぶ預言者として悔い改めを迫り、水の洗礼を授け、民衆に救い主を迎える準備をしました。

イエスはヨハネの洗礼から公生涯に入られました。しばらくして彼は領主ヘロデが兄弟の妻と結婚したことを糾弾したため、牢に閉じ込められてしまいます。いつまで待っても、イエスは隠された主のままで活動されています。一方のヨハネも投獄されたままにいます。すると「来るべき方はあなたですか、ほかの方ですか」と疑い戸惑う思いが沸き上がってくるのでした。

2.「『見聞きしたことをヨハネに伝えなさい。・・わたしにつまずかない人は幸いである。』」

物事の判断について、自分の側の見方か、イエスの側からの見方であるかを問われます。主イエスは病人や悪霊に苦しんでいる人々を癒し、盲人を見えるようにし、神の国の到来を証言されています。私たちは困難な状況の中で「何でイエス様・・」と疑い戸惑いますが、イエスに躓かない立ち位置が大切です。

3.「『言っておく。預言者以上の者である。・・おおよそ女から生まれた者のうち、ヨハネより偉大な者はいない。しかし、神の国で最も小さな者でも、彼よりは偉大である。』

 聖書の預言者たちは神の言葉に基づいて救い主をイメージさせてくれましたが、ヨハネは実際に救い主を紹介した預言者以上の者です。彼は悔い改めのしるしである水の洗礼を授けましたが、私たちは十字架と復活の主を信じて、火と聖霊の洗礼を授けられた御国の市民なのです。

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