6月2日「新しく生まれる」~新生~

ヨハネによる福音書3章1―21節(新共同訳p.167 口語訳p.138)

1.「『人は、新たに生まれなければ、・・だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。』」

 ニコデモは神の国を待望し、熱心に律法を守っています。ところが神が共にいるしるしがありません。闇と光、肉と霊の狭間にいて「神の国・永遠の命に入る」ことを質問したのでしょう。神の賜物であるイエス・キリストを受け入れる、それは天的・霊的な誕生で不思議に思います。丁度、母の胎内にいた胎児が生まれ出る経験に似ています。水と聖霊による洗礼は、罪のきよめと永遠の命を賦与する聖礼典です。

2.「『モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子も上げられねばならない。それは、信じる者が皆、人の子によって永遠の命を得るためである。』」

 主なる神は「新しい心を与え、新しい霊を置く、エゼキエル36:25-27」と約束され、新生の恵みが分かるはずです。天の国のすばらしさを啓示するために、地上に降られた御子は、全ての人が罪ゆえに支配される死に服されました。十字架につけられた御子を見上げる者は、罪の赦しを受け、永遠の命を持つ神の子供となります。

3.「『神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。・・御子を信じる者は裁かれない。信じない者は既に裁かれている。・・悪を行う者は皆、光の方に来ない。真理を行う者は光の方に来る。』」

 神の愛は、罪人が罪を赦されて永遠の命を持つために、独り子を十字架に上げました。それゆえ、キリストの十字架と復活は、不可避的に全ての人を二分します。悪を行う者は明るみに出されないよう闇を好み、滅びを選びます。真理(イエスは救い主)を好む者は光に来て、永遠の命を選びます。

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