使徒言行録17章1節-15節(新共同訳p.247口語訳p.210)
今日から17章に入ります。パウロたちは、フィリピを旅立って、テサロニケに入りました。マケドニア州の州都であったテサロニケを、伝道地としたのは、多くのユダヤ人たちがそこに住んでいて、会堂があったからです。パウロは何処でも、最初にユダヤ人たちに伝道をすることからはじめています。その理由は、福音がユダヤ人の歴史を受け継いでいるということを、ちゃんと明らかにするためです。しかし、多くのユダヤ人たちは福音を信じませんでした。その一方で、ユダヤ人たちの会堂に出入りしていたギリシャ人たちや、婦人たちが、福音を信じたのです。その結果、それを妬まれて、パウロたちは迫害を受けて、テサロニケに長く留まれませんでした。だから、べレアに行ったのです。そこでも、パウロたちは、先ずユダヤ人たちの会堂で福音伝道をしました。べレアに住んでいたユダヤ人たちは素直で、多くのユダヤ人、ギリシャ人の上流婦人たち、異邦人である男性たち、それらの人たちが、主イエスの福音を信じたのです。でも、テサロニケに住んでいるユダヤ人たちが、パウロがべレアで福音伝道をしていることを知り、わざわざ押し掛けて来て、群衆を煽動して騒ぎを起こしたのです。その結果、パウロたちは、べレアにいられなくなり、アテネに行ったのです。それはそうと、パウロたちは、テサロニケとべレアで、一体どういった内容の福音を伝道していたのでしょうか。それは、3節に記されている通り、「メシアは必ず苦しみを受け、死者の中から復活することになっていた」ことです。つまりパウロが伝道した福音の内容は、「救い主は、必ず苦しみを受けて死んで、死者の中から復活する。それが、旧訳聖書が指し示していたことであり、約束していたことである。」ということです。分かりやすく言うと、人間が、神を無視して生きている罪を赦すために、救い主に対してその罪を負わせ、苦しみを与え、殺した後、死から復活させることを、神が決意していたということです。つまり、神の救いは、神の決意によって与えられるようになったということです。更にパウロが伝道した福音の内容は、3節に記されている通り、「メシアはわたしが伝えているイエスである」ということです。つまり、先程の神の決意が、主イエスを通して実現した。こそのことを、聖書に基づいて説明して、論証したのです。それがパウロが伝道した福音の内容です。つまり彼の伝道は、「このように生きなさい」という処世術でもなければ、倫理や道徳でもなかったということです。ただ、旧約聖書が指し示していること、約束していることが、主イエスによって実現したことを宣べ伝えただけです。それは、人の心を燃えたぎらせるような伝道でもなければ、人をうならせるような伝道でもありません。むしろその逆で、大変じみで、見栄えがするような内容ではなかったのです。しかし、聖書に基づき、聖書のみを語っていたこと。そが人々の心を動かしたのです。大切なことは、私たち一人一人が、日々聖書を味わい、それを受け止めて、生活の中で御言葉を体験していくことです。聖書は神からのラブレターなのです。
