使徒言行録11章1―18節(新共同訳p.234 口語訳p.199)
ペトロは、自分でも驚くような気付きが神から与えられて、コルネリウスの家の客となり、主イエスの救いを宣べ伝えました。私たちの感覚であればそれは大変喜ばしいことです。でも、ユダヤ人たちにとっては、疑問や反発を覚えることだったのです。彼らの疑問や反発が記されているのが、11章2節-3節です。そこには『あなたは割礼を受けていない者たちのところへ行き、一緒に食事をした』そう記されています。割礼を受けていない人とは、異邦人のことです。ユダヤ人たちにとって、割礼こそが、ユダヤ人と異邦人を区別する印でした。つまり「あなたは異邦人のところへ行って一緒に食事をした」そうペトロは非難されたのです。「一緒に食事をする」という意味は、深い交わりをしていることを意味しています。仲間であることを具体的に現す言葉。それが、「一緒に食事をする」ということです。律法では、異邦人の家に入ることも、一緒に食事をすることも禁じられていました。ペトロはその律法を破ったのです。ペトロ自身、そのことを意識していたことが、10章28節からわかります。ユダヤ人だった使徒たちや、エルサレム教会の人たちが、ペトロの律法違反を非難したのは、至極当然です。至極当然の非難を受ける中で、ペトロは自分が律法を破った理由を説明したのです。それが4節~17節です。そしてその説目は、10章と同じです。10章を見てみますと、神から自分に与えられた幻と、実際に自分の身に起こった体験を通して、10章28節の結論を語っていることが分かります。ペトロは結論として、「あなたがたもご存じのとおり、ユダヤ人が外国人と交際したり、外国人を訪問したりすることは、律法で禁じられています。けれども、神はわたしに、どんな人をも清くない者とか、汚れている者とか言ってはならないと、お示しになりました」そう述べていました。この言葉から分かるのは、ペトロ自身、律法の禁止を破っていることを十分意識していたということです。それを破ってまで、コルネリススの所にいったのです。でもそういった展開に、最も驚いていたのはペトだったのです。じゃあ、ペトロの驚きの体験を聞いた、エルサレム教会のユダヤ人たちは、一体どうなったのでしょうか。そのことが記されているのが18節です。そこを見ますと、「この言葉を聞いて人々は静まり、『それでは、神は異邦人をも悔い改めさせ、命を与えてくださったのだ』と言って、神を賛美した。」そう記されています。彼らは静まったのです。つまり、沈黙したのです。その沈黙を経て、神への賛美が沸き起こったのです。ペトロを非難していた彼らが、神を賛美する者へと変えられたのです。何故そうなったのでしょうか。それは15節に記されていることが起こったからです。そこを見ますと、「わたしが話しだすと、聖霊が最初わたしたちの上に降ったように、彼らの上にも降ったのです」そう記されています。そうなのです。聖霊が彼らに降ったのです。だからこそ、神の視点から、ペトロの宣教の言葉を捉えることが出来たのです。神の視点から神の御言葉を捉えることが出来るようにして下さる聖霊が、いつも私たちと共に歩んで下さっています。そのことを覚えつつ歩んで参りましょう。