9月17日「命のある信仰」

使徒言行録10章34―48節(新共同訳p.233 口語訳p.198)

10章は、教会生活を通してペトロが新しくされたこと。そのことが記されています。そんなペトロは、既に主イエスの救いを宣べ伝えていた教会の指導者でした。そうであるにも関わらず、ペトロは教会生活を通して、実際に新しく造り変えられたのです。その証拠が、ペトロがカイサリアに行って、コルネリウスと、その家族に、主イエスの救いを宣べ伝えたことです。コルネリウスは異邦人であり、自分たちユダヤ人を支配しているローマ帝国の軍人です。その一方で、ペトロは「自分は神に選ばれた神の民として、異邦人とできるだけ交際してはならない。家にも入ってはならい。」そう思っていたのです。だからこそペトロは、コルネリウスと、その家族に、主イエスの救いを宣べ伝えたくなかったのです。そんな彼が、祈っていた時に、神の幻による示しを受けてしまったのです。食べてはいけない。そのように律法で命じられていた、汚れた動物たちが入っていた風呂敷が、彼の前に出されて、「これを屠って食べなさい」そう命じられてしまったのです。だからこそ、ペトロはカイサリアへ出向いたのです。それが、ペトロの異邦人伝道の始まりなのです。神が使命を与えて派遣したならば、ペトロの気持ちがどうであろうと、必ず神が与えた使命を全うさせるのです。それが神です。では、何で異邦人伝道という使命が神に与えられたのでしょうか。それは、ペトロが、使徒たちの筆頭と言ってもよい存在だったからです。つまり、ペトロの異邦人伝道が指し示すことは、神が公に異邦人を仲間として受け入れて、主イエスの救いがユダヤ人にだけではなくて、異邦人にも与えられていることを指し示すことになるからです。神のなさることに無意味なことは何一つないのです。ペトロの異邦人伝道は、私たちがこの米子教会で、主イエスの救いに与り、神の民として生きることができる第一歩が、踏み出されたことを意味しているのです。10章は、そういった教会の大きな新しい出発が、記されているのです。そして、そういった教会の大きな新しい出発が、ペトロを造り変えたのです。つまり、神が異邦人伝道というビジョンをもって、御手を動かしたとすれば、教会に連なっている人たちが、神に再創造されて、伝道が進んでいくのです。それが無いことを静止主義というのです。そんな静止主義と徹底的に戦った人が、ジョン・ウエスレーです。神が与えて下さった主イエスの十字架・復活・昇天の御業に生かされている人は、神が昇天の御業によって与えて下さった聖霊が働いて、静止主義から脱却して生きていくようになるのです。それが、神が私たちに与えて下さった信仰の力です。そのことを覚えて、皆さんと共に歩んでいければと思います。

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