12月1日「その日その時は知りえない」

マタイ福音書24章36―44節(新共同訳p.48 口語訳p.40)

1.「『その日、その時、だれも知らない。天使たちも子も知らない。ただ父だけがご存じである。』」

キリストが再臨される日を知らないのは、幸いだと思います。もしその日その時を知らされたら、御前に立つことの恐れに包まれて、今日から立ち居振る舞いを正さざるを得ません。審判の日は天使たちも御子も知らないと言われるのは、キリストの謙遜でしょう。審判に対する備えは必要ですが、その日は知らなくて良いのです。

2.「『人の子が来るのは、ノアの時と同じだからである。・・一人は連れていかれ、もう一人は残される。』」

クリスマスの宣言と賛美は天地に響き渡ります。その天使たちの歌声を聞いたのは貧しき羊飼いたちだけでした。今日も御言葉はすべての人に向かって伝えられます。ノアは神の言葉の響きを聞き取って従いますが、世の富と快楽を求める人々はその言葉を嘲って聞こうともしません。

3.「『だから、目を覚ましていなさい。いつの日、自分の主が帰って来られるのか、あなたがたには分からないからである。・・だから、あなたがたも用意していなさい。人の子は思いがけない時に来るからである。』

 私たちはその日その時を知らないから、眠りこけていて仕方がないのではありません。今日、犯罪に防犯カメラを取り付ける家が増したようにその日に対する意識づけが大切です。

再臨の主は明日来られます。そして、クリスマスの主は今日来られます。御言葉が語りかける厳かな響きを聞き取って従ったノアのように、悔い改めにふさわしく心を空にしていたいと思います。

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