11月24日「最も小さな者にしたことは」

マタイによる福音書25章31―46節(新共同訳p.50 口語訳p.42)

1.「『人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき、その栄光の座に着く。そして、羊を右に、山羊を左に置く。』」

「人間にはただ一度死ぬことと、その後に裁きを受けることが定まっている。ヘブライ9:27」。多くの日本人は仏教的な輪廻転生の死生観を描きますが、聖書は永遠から永遠に向かう直線的な人生観です。最後の審判では羊は右に、山羊は左に置かれます。

2.「『王は右側にいる人たちに言う。「さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。」「わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。」』

 神が右側に置いた人々は、天地創造の初めから永遠の命に約束されていた神の国を継ぎます。その資格は大きくて立派な奉仕にあるよりも、最も小さな兄弟姉妹に仕えたかにあるようです。彼らの貧しい人々への奉仕を、イエスが感謝されたので、あなたにはしていませんがと問い直しています。私たちは今日一日だけ働けます。それで今日の助けを必要としている小さい者にしてくれたのは、わたしにしてくれたと言われたのです。

3.「『王は左側にいる人たちにも言う。「呪われた者ども永遠の火に入れ。」「この最も小さい者の一人にしなかったのは、わたしにしてくれなかったことなのである。」』」

 一方で、左側に置いた人々には、永遠の滅びに入れと呪われます。彼らはイエスの名のために沢山の善行を積みましたよと反論します。彼らは皆が認める功労者です。ところが、今日の助けを必要とする小さい人には関心がありませんでした。私の奉仕は世間体を優先していますか、神の御前を歩んでいますか。今日一日の小さい奉仕に大きな愛をこめましょう。

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