11月3日「生きている者の神」

マルコによる福音書12章18―27節(新共同訳p.86 口語訳p.72)

1.「復活はないと言っているサドカイ派の人々が、『復活の時、彼らが復活すると、その女はだれの妻になるのでしょうか。』『あなたたちは聖書も神の力も知らないから、そんな思い違いをしているのではないか。』」

 サドカイ派の質問は愚かです。信じてもいない復活の出来事を問うことは実りがありません。それは、彼らが聖書の真理も神の生ける力も知らないからです。復活の希望のない信仰は虚しく、彼らは罪の中に留まります、コリントⅠ15:17。

2.「『死者の中から復活するときには、めとることも嫁ぐこともなく、天使のようになるのだ。』」

復活の時、私たちは地上の人間関係を引き継ぐのではありません。復活は神に対する個々の信仰者としての祝福です。教会は花婿であるキリストの花嫁として嫁ぐ希望の中に生きています。

3.「『「わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である」とあるではないか。神は死んだ者の神ではなく。生きている者の神なのだ。』」

神は生きている私たちと共にいる神(有って在る神)であって、神御自身がアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神であると宣言され、彼らと共にありました。それはまたモーセの神、ダビデの神、弟子たちの神、そして私たちの神なのです。今日ここに生きる私の神であって、イエス・キリストは「わたしはいつもあなたと共にいる」インマヌエルの神です、マタイ1:23。

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