5月19日「聖霊が満ちる」

使徒言行録2章1―11節(新共同訳p.214 口語訳p.181)

1.「すると、一同は聖霊に満たされ、霊が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話し出した。」

 弟子たちは最後の晩餐の二階広間で、心を一つにして約束の聖霊が注がれることを祈っていました。五旬祭の日に、彼らの上に激しい風の音が迫り、炎のように見える舌が留まります。すると彼らは聖霊に満ち溢れ、戸を開き外に出て大胆に神の言葉をのべ伝え始めました。聖霊あって教会は存在し、聖霊あって宣教する恵みに満ちます。

2.「『話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか。・・彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは。』」 

 弟子たちは異言で神を賛美しました。彼らの不思議な言葉はエルサレムに帰還した信心深い人々に、十字架の救いと復活の勝利の証言となりました。しかもそれぞれの生まれ故郷の言葉で聞いたのでした。こうして「エルサレムばかりでなく、地の果てまでに至る」神の御業の宣教が開始されたのです、1:8。 

3.「『いったい、これはどういうことなのか』・・『あの人たちは、新しいぶどう酒に酔っているのだ』」

また、聖霊は神の言葉を聴くことの恵みです、詩119:130。敬虔な心で耳を傾ける者たちは、福音として受け取り、一方、弟子たちをあざける者には、酔っぱらいの戯言と映ったのでした。「聞く耳のある者は聞きなさい、マルコ4:9」聖霊は求める者には開かれています。

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