4月14日「さあ、食事をしよう」

ヨハネによる福音書21章1―14節(新共同訳p.211 口語訳p.177)

1.「『わたしは漁に行く。・・わたしたちも一緒に行こう。』・・しかし、その夜は何もとれなかった。」

 弟子たちは復活の主に出会って喜びましたが、聖霊が降るまでは肉の力に頼ってしまいます。当座の生活をしのぐために以前の生活習慣に戻って、夜通し網を打ちますが、一匹も捕れません。聖霊が降る前に、自分を過信せず謙遜な魂となる期間が必要でした。 

2.「『舟の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ。』・・魚があまり多くて、もはや網を引き上げることが出来なかった。」

 その時とその場所を外したままでは徒労に終わってしまいます。私たちも自分の経験や知識に頼ることの空しさを経験してきました。「お言葉ですから」と御言葉に聞く、そして素直に従う。そこに153匹の収量を得る秘密があるのでしょう。あなたも御言葉に一歩踏み出しませんか。

3.「陸に上がってみると、炭火がおこしてあった。その上に魚がのせてあり、パンもあった。・・『さあ、来て、朝の食事をしなさい。』」 

 ガリラヤ湖の岸辺でいただく朝食は、あの五千人の給食を思い起こさせます。イエスの方で朝食を準備しておられ、さあ食卓を囲もうと声を掛けられました。そして、もう一度人間をとる漁師にしようと招かれました。自分は裏切ったから、知らないと否定したからと自己懺悔しても、「賜物と招きは取り消されない、ローマ11:29」からです。「わたしがあなたがたを選んだ。・・わたしがあなたがたを任命したのである、15:16」。

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