3月31日「復活した主が招いてくださる」

ヨハネによる福音書21章1-14節(新共同訳p.211、口語訳p.177)

弟子たちが陸に上がってみると、主イエスが既に炭火をおこして魚が焼かれ、パンも用意されていました。さらに主イエスは「今とった魚を何匹か持って来なさい」と言われ、彼らが取った魚をそこに加え、「さあ、来て、朝の食事をしなさい」と言われました。主イエスが備えて下さった食事に弟子たちは共に与ったのです。ここに教会が一つで、分裂なく一致していることはどこに現れるかが示されています。それは、主イエスが備えて下さった食事に共に与ることにおいてです。/13節には「イエスは来て、パンを取って弟子たちに与えられた。魚も同じようにされた」とあり、6章の五つのパンと二匹の魚で五千人の人々を満腹にした五千人の給食を思い起こさせます。この奇跡も、今日の箇所の食事も、教会の礼拝において行われている聖餐を指し示しています。聖餐は復活した主イエスが用意し招いて下さる食事です。洗礼を受け、主イエスの十字架と復活による救いに与り、主イエスと一つとされ、キリストの体である教会に加えられた私たちは聖餐のパンと杯において、主イエス・キリストの体と血とに与り、主と一つにされていることを身をもって味わい、体験するのです。この聖餐に共に与ることに教会が一つで、分裂なく一致していることの目に見えるしるしがあるのです。教会が一つであるとは、そこに集う人が同じことを考え、同じ活動をしているというような人間的な結束によるのではないのです。洗礼を受け主イエスと結び合わされ、御言葉によって養われながら、聖餐でキリストの体と血とに与り、その救いの恵みを共に味わう、そのことにおいて教会は一つであることができるのです。

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