マタイ福音書2章1―12節(新共同訳p.2 口語訳p.2)
自分の信じていた常識、価値観、考えが覆されたら皆不安になるものです。これまでのあり方を「覆されそう」になると、ヘロデやユダヤの人々のようについ全力で抵抗し保守したくなるものです。しかし異邦人の占星術の学者たちはこれまでの自分たちの常識、考えが完全に覆され、星が常識的な動きをせずに止まった時、彼らは「その星を見て喜んだ」のです。/私たちはこれまでの自分が生きて来たあり方を捨てることに恐れを覚えるものです。しかし神の導きはそれを凌駕されます。その導きの先に主イエスがおられるのです。真の王なる方です。この方は力や恐れによって人を支配するローマのような存在ではありません。この王は力なき、幼子です。学者たちはこの主イエスに会った時にひれ伏しました。もちろん恐れではなく、喜びにあふれたからです。見えない力や自分を信じ縛られていたところから、解放して下さった方が目の前におられたからです。/「黄金、乳香、没薬」を捧げました。彼らは占星術や魔術のためのもの、これまで頼ってきたものを放棄しました。それは当時非常に高価なのもでもあります。これらの献げ物は主イエスのために用いられます。没薬は幼子が怪我した時に薬となります。匂いのきつい馬小屋では乳香はその匂いを和らげ、黄金はヨセフとマリアという若い貧しい夫婦が幼子のために食べ物を買うことができるようになるのです。神はわたしたちがこれまで頼ってきた愚かなものでさえも、捧げられたときそれを大事に必要なものとして受け取り用いてくださるのです。/最後に異邦人の学者たちは星に従うのではなく、夢の中で語られた神の声に従う者となり、ヘロデの元には帰らず、同じ道をも歩まなかったのです。自分の常識、考え、処世術にたよるという道にも返ることなく彼らは喜びの中を歩んだのです。
