ヨハネによる福音書16章25―33節(新共同訳p.201 口語訳p.169)
1.「『その日には、あなたがたはわたしの名によって願うことになる。・父御自身が、あなたがたを愛しておられるのである。あなたがたが、わたしを愛し、わたしが父のもとから出て来たことを信じたからである。』」
「その日」聖霊が降臨されるペンテコステの日。弟子たちは聖霊のとりなしによりイエス・キリストの名前によって、直接に父なる神に祈ることが出来ます。「愛し、信じた」は現在完了形の言葉で、愛しているから信じているのです、コリント113:4-7。
2.「『今ようやく、信じるようになったのか。・わたしをひとりきりにする時が来る。いや、既に来ている。」
弟子たちは、イエスこそ真理について聞くべき唯一の方と告白します。ところが、身に危険を感じると自分の声に聞き従って、逃げ去りました。結局、肉の熱心は世の支配者に無力でした。
3.「『これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたは世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。』」
主イエスの告別説教は「心を騒がせるな。14:1」と始まって、「わたしによって平和を得るためである」と結ばれます。キリスト者は「世から選び出された」ゆえに理由もなく迫害されますが、決して滅びることはありません。主の十字架が敗北ではなく、勝利の十字架であるように、私たちは既に打ち破られた敵と戦っているからです、「キリスト者は既に勝敗がついた勝ち戦を戦っているのです。何の恐れることがあるでしょう、フォーサイス」。